スペシャル

Special

 日本の自然と人物がその舞台として描かれた作品を通して、世界の「OTAKU」達は日本の自然と日本人の自然観についてふれています。
 これら作品内において描かれた人物、自然、歴史、風土、文化を描いた背景、またその世界観が「日本、日本文化」のイメージやインバウンドにどのような影響を及ぼしたかなど、「日本博」の総合テーマ「日本人と自然」を本に、多岐にわたるメディア展開されている小説家の先生方からご寄稿いただきました。

 '05年に『かみちゅ!』というTVアニメ作品に参加した時、舞台を広島県の尾道に設定しました。時代は昭和、普通の女子中学生がある日突然“神様”になってしまう。なってはしまうが特に大層なことをするわけでもなく、中学生らしく友達と遊んだり、恋や進路に悩んだり、という内容でした。
 尾道は海と山に挟まれた町で、急な斜面に家がずらりと並ぶ、なかなか独特な景観をしています。私たちがロケハンに訪れた時はもちろん既に平成だったのですが、民家や路地にまだまだ残る昭和感に強いノスタルジーがありました。「こんな町なら、今でも神様やモノノケとかいるかもなぁ」とぼんやり思い、そこで作品全体の空気は決まったのです。
 考えてみれば日本人は、ネットを使うようになったりスマホを持ち歩いたり、コンビニの支払いをペイですませたりするようになっても、神社に行ったらお神籤引くし、仕事場に神棚作って拝むし、という根本的な旧世代スピリチュアルから抜け出せない性質なのです。
 しかしだからこそ、アナログとデジタルが共存している今の社会を作ることができたワケで。これはなにか、CGメインに進む世界のアニメ制作で、今でも手描き作業に拘る作品が多いジャパニメーションが一定の支持を受けている状況に通じるものがあるよなぁ、と思ったりもするのです。

倉田英之(小説家)

 『日本人と自然』とか、自作の中に描いた『人物、歴史、風土、文化』とか聞かれましても、自分のような『キャラクターに喋らせとけばなんとかなるだろ』と考えてる人間にその質問は酷だろうというね……
『出会いは坂で行きましょう! 場所? 都内のどっかでいいとこ見繕っといて』とか、『舞台は離島! 面積? 人口? 本土からの距離? 卒業にふさわしい感じで!』とか、『やっぱ運命の再会といえば海外でしょ海外! え? ロンドン? いいねぇそれで行きましょ!(結果ストラスブールになりました)』とか、いっつもイラストレーターやら編集者やらディレクターやら社長やらに丸投げしている人間からすれば答えようがない訳です。
 でもまぁ、かつて毎日のように目にして、いつか描きたいと思っている『ありきたりで、自分と同世代の日本人にとって共通言語かもしれない昭和の風景』なんてものは心の中にしまってはあります……目の前に広がる田んぼの先に二両編成の赤い電車がちんたら走ってて、春にはその田んぼが蓮華で覆い尽くされていたり、あぜ道から蛇が顔を覗かせたりして……ていうか久々に帰ってみたけど40年経っても景色変わんねぇじゃねぇか俺の生まれ故郷。あんなでっかい会社があるくせに逆に凄いぞ愛〇県豊〇市。
 まぁ、いつか人間としてもっと成熟したらそういう情景描写で一本書いてみたいと思わないでもないですが、この歳になってもまるで人生に深みを感じられない時点でそういう作品は無理でしょう。やっぱキャラクターが格好良かったり可愛かったりすりゃいいんですよ結局。

丸戸史明(小説家)